ブログ

毎年、夏に思うこと

私ごとではありますが、8月11日は、亡くなった父の誕生日。そして、この頃になると、6日の広島、9日の長崎の原爆記念式典の模様や、新たな資料や映像に基づいた戦争の記録や、原爆投下後の様子などの番組が報道されます。また、お盆の時期だからか、やたらと父と母のことが思い出され、「戻ってきてるのかしら…」なんて思ったりして。

 

父の故郷は広島ですが、私が4才まで暮らしていた所は、広島市の観音町という町です。爆心地からとても近い場所。私の広島での記憶は、隣の大家さんの家には一郎君というお兄ちゃんが住んでいたこと、大きな国道(と、勝手に思っていただけで、国道ではなかったのかも)を、ロバが引くパン屋さんが走っていたこと、はす向かいがお好み焼き屋さんだったこと、川の欄干で花火を見たこと、玄関の軒下で雨の日にままごとをして遊んだこと、大雨の後、側溝の「どぶ」に落ちたこと、くらい。今の地図上では、どの辺りの場所かは定かではありません。(母の生前に、ちゃんと聞いておけば良かった)

 

終戦間近、父は兵隊で外地にいたため、被爆しませんでしたが、父の姉と弟は被爆して亡くなっています。母は、学徒動員で山口県の柳井市の郵便局(なので、驚くことにモールス信号が打てるお婆さんでした(^_^.))にいたとのこと。原爆投下直後に、生徒たちは広島市内に手伝いに駆り出されていますが、母は週番だったために宿舎に残ったそうです。多くの友人が、恐らく二次被爆で苦しんだのではないかと、生涯案じていました。

 

以前から、両親のことや、私の幼いころの思い出を少し書いてみたかったのですが、そんな、話を何度も繰り返し聞かされてきたからか、やはり、今回、国連で核兵器禁止条約が122ヶ国の賛成で採択されにもかかわらず、日本政府が協議にも参加せず、署名しないという判断をしていることに本当に頭にきています。

 

「はあ?何故?何考えてるの?」と・・ 核兵器の保有国と非保有国の間で、橋渡しの役割を果たす?道筋が違うということのようですが、一流な言い訳だわ!!(気持ちをそのまま伝えたいので、ちょっと乱暴な言い方になってしまいました)

地球上で唯一の被爆という経験をした国でありながら、高らかに核兵器廃絶を叫べないなんて。悲しい…。ヒバクシャの方がおっしゃっていた、はらわたが煮えくり返るようだという言葉に「そうだ!!」と思わず声を上げてしまった私でした。